万年筆を買いました。
持ち手に刻まれた文字をインターネットで調べると、
この自転車屋さんの万年筆であることがわかりました。
宣伝用やったがやろうか。
なにはともあれ、こうして万年筆の故郷が分かるこの2017年。
マジックみたいですね。

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凡そ


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蚤の市にはいろんなタイプがあります。
プロの集団をまとめたもの。
地区でまとめたもの。
一般人のフリーマーケットを扱うもの。
プロと素人がごっちゃのもの。

今日行ったのはプロの集団でした。
難点は高杉晋作だということです。
普通のメロンが食べたいのに、夕張メロンをドシドシだしてくるような。
行ってみなきゃ分からんのですが、やっぱりこのチームの蚤の市は苦手です。
でも情けない木箱が買えたので、きっと彼に会う為に僕は足を運んだのでしょう。

さて今日の蚤の市が行われた通り。
僕が生まれ育ち、20年間お世話になった家の前の通りで行われてました。
よくわからない覚悟をして向いました。
懐かしかった。でも少し苦しかったです。
小さい時に通った友達の家からの帰り道を、何年ぶりに歩いているのだろう。
信号を待っている間、自分を取り囲む道も建物も地面も、ギュッと狭まったイメージがありました。
自分が成長したからなのか。
自分が乗っていた三輪車を見て、「こんなに小さかったのか。」と驚いたことがありますが、
それのもっと広大なスケールでの体験でした。

もし前のアパートの鉄柵から子供の時の自分が顔を出していたら。
よくボーッと5階から小さい人々を眺めていた。
「ごはんでー」「はーい」
以外と変わっていない、自分の本当の中身。

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鉄道へ自転車を持ち込んで1時間半移動して、
最後の駅から蚤の市のある緑地へ30分ごいごいこぐ。
目に入る情報が単調になっていく。
空気の粒が単調になっていく。
体がしんしんと軽くなっていく!
手袋をしてハンドルをグッと握りしめてゆっくりとこぐ時間が
素晴らしく贅沢でした。

遠出したかいがあり、色々と買えました。
お気に入りはベッコリと凹んだ青いブリキの浴槽です。

最初の写真は帰路で撮った、遠くにある黄色い建物。
おもちゃのような、典型的「家」の輪郭。
あまりにぽつねんとおったので「ひとりぼっちやなおまえ!」
と思うたけど、こうして遠くから写真を撮る僕がいるので、一人じゃないぜ。

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一人じゃないんだぜ!

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パリに戻ってきました。
変わり変わりゆくモノは時間が決めるものなのかと思いました。

ボンコアンをがっつりと開けて感じたこと。
恵まれているということ。
遠くから、近くからお客様がこられて、何かモノをみつけて、それを買ってくださるということ。
もうそれは嬉しい。ご来店くださり、本当にありがとうございました。
僕も嬉しかったですが、何よりあの台形のお店が喜んだがやないでしょうか。

✴︎

通った歯医者さんの近くに喫茶店があるのをみつけた。
朝一の歯医者を済まし、そこでちょっと遅いモーニング食べるのがお約束。
その店主であるおばあちゃんに自分はパリからきていると伝えたら、
「そらああんた、幸せもんやねえ。」と言われた。
そのあとも何回も会話の中で言われた。
「そらー幸せや」

「パリで生まれたんですか、すごいですね」と、言われることが多々ある。
すごくない。パリで生まれただけだ。そんなフランス語もしゃべれん。
でもおばあちゃんから、幾度も「なかなかできんことで、幸せで。」
と言われて、僕はふと思った。

あ、これは幸せなのかもしれない。

境遇は、しばしば融通のきかない時がある。
風の方向は決められない。
雲が流れる速さも変えられない。
と同時に、僕が生きてきた時間や場所は変えられない。
ここに自分がいるということは、そこに時間があるということだ。
なんで自分がここにおるか分からんけど、それは風も雲も知る訳がない。
知る術もないことは知っても無駄である。
なら知ろうと思う。色々と。愛し方とか。

ここから眺める窓はきっとそっちに繋がっている。
思い、思われ、幸せもんです。

凡そ


10.29.2017松村岳





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